傷寒論の扉



はじめに ダウンロード 凡例など

このホームページは、漢方を学ぶ同志のために、 傷寒論の古典的な注釈書のデジタルテキストとその読み下し文を 提供することを目的としています。

まずは、 成無己『注解傷寒論』 多紀元堅『傷寒論述義』 方有執『傷寒論条弁』 喩昌『尚論篇』 程応旄『傷寒論後条弁』 からはじめます。

はじめに


 2001年から昨年(2012年)まで、恩師 山田光胤先生のご厚意で、  たにぐち書店刊『月刊漢方療法』誌に、「蘭軒門下の傷寒論講義」として、 幕末の幕政に関わった阿部正弘の侍医であった蘭軒の長男榛軒の『傷寒論講本』を読み下し、 解釈して、連載しました。
 これは当時、傷寒論の解釈に種々様々な本が出版され、内容を見ると、 歴史的な解釈を無視した、あるいは無知な、突拍子もない主張のものも少なくないように見受けられましたので、 まずは漢方が明治維新以降衰退する直前の傷寒論の解釈がどのようであったかを明らかにして、 それを踏まえて持論を展開すべきだろうと考え、連載したものでした。連載は隔月数ページでしたので、 投稿は楽でしたが、12年近くの日時を要してしまいました。恐らくこの連載を読み通した人は居ないと思いますが、 一番の効用は筆者自身の傷寒論理解が格段と進んだことです。
 『傷寒論講本』について言うと、概略 多紀元簡『傷寒論輯義』を基礎として、多紀元堅『傷寒論述義』による補足、 その他 明・清の『傷寒論』の関する著述を引いています。
 作者は出来るだけその原著に当たって記述を確認し、注釈としましたが、 如何せん蔵書に限りがあって、確認できないものも多々有りました。(たとえば 汪琥『傷寒論弁証広注』は内閣文庫にあるのは分かっているのですが、 一般の古書目録にはまず出てきません。見たいもののひとつです)確認できないものは、やむを得ず『傷寒論輯義』の記載から孫引きしました。
 作業を続けて様々な『傷寒論』注釈書を読んだことになりますが、それぞれを通読してはいません。雑誌への連載が終了したのを期に、 それぞれを通読し、その結果出来上がったものを、後学の諸氏の便宜のために公開しようと、思い立ったのです。

ダウンロード


成無己『注解傷寒論』: 読み下し  原文

多紀元堅『傷寒論述義』: 読み下し 原文

方有執『傷寒論条弁』:読み下し 原文 (作業中)

喩昌『尚論篇』:読み下し 原文 (準備中)

程応旄『傷寒論後条弁』:読み下し 原文 (準備中)


凡例


標題の読み下し(PDFファイル)及び原文(一太郎文書)を提供致します。
印字する場合、読み下し文はA5縦書き、原文はA4横書きで読みやすいようにしています。
#1:フォントについて
   フォントは、MSゴチックとM明朝を使用します。原則として、MSゴチックは原文で大字で表現される部分、MS明朝は小字あるいは双行の部分とします。
#2:テキストおよび読み下しについて
   多紀元堅『傷寒論述義』は名著出版『近世漢方医学書集成』、中国由来の書籍はテキストおよび読み下しはエンタープライズ社『和刻漢籍医書集成』に随いましたが、判読不明またはどうしても納得のいかない部分は制作者の判断で読み下しました。
   (『注解傷寒論』は『和刻』に白文で掲載されているので、同巻に掲載されている『傷寒論集注』中の『注解傷寒論』引用部分に随いました)
#3:読み下しの細則
   「 」は「こと」と表記し、「寸」は「時」と表記しました。仮名表現は、歴史的仮名遣いを採用しましたが、表記の誤りが有ったら、これは制作者の不勉強に係るものです。なにせ語学は(外国語も日本語も)苦手としています。悪しからず。

ログ

平成25年5月末 HP立ち上げ
平成25年6月12日 デザイン一新
平成25年7月 『注解傷寒論』を印刷製本。一冊目は美しくない。詳細は
http://ameblo.jp/arayatetsuichi/

平成25年7月19日 pdfファイルにヘッダーを追加
平成25年10月23日 『傷寒論述義』をup
平成26年6月27日 今年からたにぐち書店の『月刊 漢方療法』に『傷寒論述義』の解説を連載し始めたので、作業が滞っています。
平成26年8月22日 『傷寒論述義』原文の太陰病に誤字あり、これを訂正した。


制作者について


制作者:新谷哲一
略歴:昭和28年生まれ、東北大学医学部卒、東北大学大学院医学研究科修了、医学博士。
 漢方は 山田光胤先生に師事しました。
 本ホームページのすべての文責は制作者、新谷哲一にあります。
 ご意見、提供の文書の誤りなどにお気付きになりましたら、 連絡していただければ幸いです。

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